正解するカド

※ネタバレありにて、嫌いな方はお引き取り下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

散々ネタになった内容。俺も最初見た時は頭の中に疑問符しか浮かばなかった。

特にまど先生のファンでも無かったし。

しかし視聴に時間を費やしてしまった事もあり、そこそこな時間でカドについて考えた。

また多くの人が意見を言っていて、性分として果たして「本当にそうなのか?」といちち考えてしまう性質なので、考えてしまった。

 

その結論として

やっぱり「つまらない」という結論になった。

 

しかしもうひとつ言うと「カド」は俺に「面白いとは何か?」を考えさせてくれる契機となった。

 

2クールが1クールになったがどうたらこうたら言われていたが、そういう事は関係ないと思う。全ては結果で出てしまった物が全てなのだ。

 

思考がぐるぐる回った後に、多くの人がかなりの怒りを感じて攻撃的な意見を述べていた。それら全てに同調する事もあれば冷静さを欠いている眉唾物に困惑したりと、多種多様な物がごった煮で流布されていた。

 

多くの意見であったのは

 

①最初のシンゴジラのようなリアル路線からいきなりラノベ作風に変わった。

②最終回でいきなりチートキャラが出てきて全てを解決した。

 

他にもたくさんあったが、大体の意見で共通していたのがこの二つだった。

最初は俺もそう感じた。その通りだと。

 

でも途中からこう考えた。本当にこの二つがあったからいけなかったのだろうか?

この二つはしてはいけない事なんだろうか?

展開の禁忌なんてものが存在するんだろうか?

 

仮定として2クールあったとしたら、①の問題は全て解決する事が出来そうな気がする。サラカが異方存在だった事が唐突すぎたのは賛否両論だったが、そこに至るまでの伏線を考えればいいんじゃないだろうか。

 

そんなこんなをぐるぐる考えると二つの問題は許されるような気もする

 

というか全て、尺があって演出や伏線をきちん張れれば展開における禁忌という問題は存在しない気がする。

 

しかしこれもIFの話をしてるからであって、机上の空論に過ぎない気もする…

 

でも「展開の禁忌」なんて概念は結果に対して、集団がマジョリティを錦の御旗にして攻撃するために勝手に作った概念のような気がするんですね。

 

②に関して、最終回で何の脈絡を持たずにいきなり出てきたからいけない訳で、それまでに伏線を貼っておいて、登場させれば良い

 

それに誰かが言ってましたが、「敵を倒す為だけに子作りするとか頭おかしい」

 

これも納得なんですが、だったら最後に出てきた娘の「その苦悩」自体を描いたら面白かったんじゃないかなぁと思いました。

 

隔離空間で敵とは言え、殺害を目的として作られた子供。

…なんかどっかでありそうな展開ですけど、それはそれで面白そうですね。

 

ここまであーだこーだ言ってきましたが、思ってる事はひとつです。

 

みんなすぐに決め付けたがる。

 

自分の枠内で押し込めて、更にカテゴライズしようとする。

「これはこうだから、つまんないんだ」と決定してそれで脳内のごみ箱に移動する。

 

安易だなぁと思う訳です。偉そうに言っててすみません。

けどこれ自分も陥りがちな罠なんですよね。

 

まー正直、カドに関してはどうしようもねぇしつまんねぇなと思う訳ですが

なんかもうちょっと立ち止まって、あらゆる角度から深く思索してみるのも勉強になったり、面白いんじゃないかなと思います。

 

場合にもよりますが、理解出来なくて困るという事は

「自分の限界を超えている」という事です。

 

つまりはそれを理解出来た時には自分が成長する訳です。

 

簡潔に言えば「わかんない」って面白くないですか?

 

自分のオタクの始まりがエヴァに感化されているので、そういう思考になってしまったのかもしれないです。

 

今の現代社会って何もかも加速していて立ち止まっていられない社会なので仕方ないとは思いますが、なるべく自分も陥りがちな罠なので気を付けたいと思います。

 

特にカドについては「素材は良かった」という事もあり、お暇でしたらIF展開を妄想してみるのも面白いんじゃないでしょうか。

 

脳は「変化」する事で幸福を感じると脳科学では言われているらしいです。

あ、こうすれば!と思いついた瞬間は少し嬉しかったりします。

 

…かなり暇人ですね。自分は通勤の電車内でよく考えたりします。

 

 

文学になってしまいますが、同じように年齢と共にわからなかった物がわかったりする時も嬉しいです。

自分にとってはサリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」がそうでした。 

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

ナイン・ストーリーズ (新潮文庫)

 

 長い事わからなかった。ライ麦は直ぐにわかった、感覚的にだけど。

しかしこれに関してはどこが面白いのは5年ぐらいわからなかった。

尊敬する森博嗣先生の愛読書という事を信じてわからないながらもたまに読み返す日々だった。

未だにわかっているかどうか、ちょっと怪しいけど。

 

 

自分に合ってる合ってないはある訳で全ての物と相性があるから、一生理解出来ない物というものもあるだろう。

その辺をまた考えるのも一興でまた楽しい。

 

最後に「お前が、みんながすぐに決め付けたがるって決め付けている!」と言われたらどうしようも無い。自己矛盾と対比でした。

 

 

 

 

 

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夏のロボット(ハル収録)瀬名秀明

※ネタバレありです。

嫌いな方はお引き取り下さい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考えるという事はどういう事なのだろうか。

純粋な思考であるコギトは~とかそういう難しい話じゃない。

たまに誰かと直接、話してても感じる事ありませんか?

「こいつ、俺の話ホントは聞いてないんじゃないの?」と

その時に、突き詰めていくと反射的に、そんな事を考える

自分はきちんと、話を聞いているのかよ

という話にもなるんですけどね。

 

ハル (文春文庫)

ハル (文春文庫)

 

 

 

 

尊敬する瀬名秀明先生のSF短編集「ハル」に収録されている一遍です。

単行本だと「明日のロボット」だったらしいですけど改題されました。

いや絶対に明日のロボットの方がいいと思うんですけどね。

 

しかし文庫の初版を見てみると2005年とあります。

初出の掲載に至っては2001年です。

驚きです。いや早すぎでしょ。どれだけ最先端をリードしていたのか

 

「きみが考えていると思ったら、それは考えているって事なんじゃないかな」

 

これが全てを表している。

 

「例えば、きみと私が今話している、しかし君と私以外はその事を誰も知らない。ここで別れてしまえば、もう世界中の誰もがその事を知らなくなる。そうすれば君と私が話していた事実を証明する事はなくなる、誰にもわからない」

 

何を言ってんだ?という感じですね

 

うーん、説明出来ない感覚。

その前にあった動物は果たして「考えているのだろうか?」という問いとも併せて考えないとわかりにくいですね。これでも恋愛に置き換えたらわかりやすいのかも

 

女「あなた私の事を愛しているの?」

男「ああ、愛しているよ」

女「本当?だったら証明してよ!」

 

ま、そういう事ですね。あらゆる思考、感情を第三者が証明する事なんて、まず出来なくて、究極的には自分ですら自分の感情を説明できないし証明できないんじゃないかという事ですね。

 

この先生と恵の会話が恵の「ロボ次郎は自分で考えて喋っていたんだ!」という最早証明出来ない、幼き日の憧憬と合わさって二重比喩されている訳です。

そんな高度な事をしつつも一切説明しない瀬名秀明先生には驚愕という他ありません。

 

しかし本当、ロボ次郎の事考えると胸が締め付けられるようでたまりません

どこかの田舎町の古びた科学博物館の片隅にいるロボ次郎が、

世界の始まりと終わりや宇宙の全てを知りながらも

ひっそりと佇んでいると思うと微笑ましい気持ちになります

 

繰り返しますが私たちは考えているのか?古典的なAI「ELIZA」のように

発言に対してただなんとなく相槌を打っているだけなんじゃないか?

Please go on (続けて下さい)と、ね

こういう事を考えると最終的には黙って何もかも喋りたくなくなりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめに

何でブログを始めようかと思い至ったかというと

最近、TwitterやLINEにうんざりしてたから

もう、あれはコミュニケーションじゃないと思います。

2014年に初めてスマホを持って、とりあえず田舎者だったのでとにかくSNSを利用して外の世界を知ろうと3年。うん、そろそろもういいかなというカンジです。

とにかく向いてない。

 

もうその一言に尽きます。でもそういう物って割り切って最近は結構上手くやれているような気もするけど。しかし得るものもあるだろうし、沈黙するんだろうなぁと思います。

 

リルケの手紙に感動したのも要因と思われる。

 

何かの報道でやってたけど、最近の女子高生って大事な話をする時はグルチャじゃなくて直接会って話すのが主流らしいですね。もちろんグルチャもしてるんだけど、グルチャは本音を話せないからという理由。

 

技術を使っているのか、技術に使われているのか

 

なんとなくその子たちは直感で理解しているんでしょうね。

SNSは偽物である、と

 

まーどうでもいいですね。使いこなしている人には便利なモノなのでしょう

 

 

 

 

ブログそのものはかなり前にやってたけど、

伊藤計劃先生のブログをまとめた本が出て、それに脱帽してからは辞めました。

これくらいの知識が無いと書いてはいけないんだなぁと思って。

 

でもブログを読むのが好きなんですよね。

特に「本音」で書かれてるブログを読むのが、

 

大抵の書評って言ったら肯定的な意見ばっかりですよね。特に昨今のTwitterでは

リツイートされて来るものって殆どが、曇りの無い賞賛ばっかりで

 

本当にそれ全部、「本音」なの?って感じてしまいます

 

何かのコミュニティに入っている限り、集団に合わせた言動をしなければいけない訳でそれが大人としての度量だとは思うんですが、少々息苦しいなぁと思います

 

 

だって全部を肯定しなくてもいいと思うんです。例えば短編集だったら良い出来のモノと微妙な出来のモノ、悪い出来のモノが混ざっているのは当然だと思いますしね。

 

「あそこは良くないけど、全体的には良かった」「キャラ造形がわかりにくかった、最後のオチは良かった」とかそういう本音の感想を言う事が、作品を読んだ人間の、作者に対する礼儀じゃないかと思いますけどね。「クソつまらなかった」とかも

 

特にTwitterは自由でありながら公共の場という特性を持ったメディアなので、仕方無いと思うんですけどね。

 

 

 

 

それはともかく本音で書いてる人のブログは見てて気持ちいいです。

 

SF作品で最近、再販された「美亜に贈る真珠」というのがあります。

 

美亜へ贈る真珠 〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

美亜へ贈る真珠 〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 

先に言うと俺自身、この話は全然面白いと思えませんでした

 

エマノンシリーズは結構好きです、梶尾真治先生のアンチではありません)

 

しかし、再販された際にはほとんど入ってくるレビューは絶賛の嵐でした。

 

そんな折に、下のブログをたまたま見つけて、

その言いたい放題でバッサリで痛快な評論に痺れたモノでした。

 

特に「時尼に関する覚え書」

 

自分もこのように確たる信念と矜持を持ち、読んだ人と痛快な「コミュニケーション」を取れるようなブログを書いていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

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